ある虚言者の記録−1





『魔法使い』



この言葉を聞いた園児は、どんな姿を思い浮かべるでしょう?
性別の差はあるでしょうが、十中八九、杖を持った老人といったところでしょう。
しかし、『魔法使い』という言葉の定義に、年齢の決まりはありません。
年齢が一桁の魔法使いがいたって、定義と矛盾することはないのです。

では、なぜ魔法使いは老人なのでしょうか。
その老人が神だの悪魔だのではなく、元は普通の人間だという前提で考えます。

第一に、説得力です。
園児からみれば、大人は物知りで、色々なことができます。
人間なのに不思議な力が使えるとすると、それは大人だろうと考えるのは当然の流れです。
そして、老人は大人の中でも長く生きているから、
大人の中に魔法使いがいるとすると、たいてい老人ということになるでしょう。

第二に、固定されたイメージです。
コンピューターが、それ以前に印刷術すら未発達だった時代は、知識は老人のものでした。
現代ならばデータベース、近代でも本を参照すれば得られる知識が、
昔は自分で経験するか、誰かに教えてもらわなければ得られなかったのです。
そんな世界で、人間が不思議な力を使えるとすると、
それは老人だろうという考えにいきつくのも当然のことでしょう。

では、なぜ魔法使いは杖を持っているのでしょうか。

第一に、老齢の象徴であることです。
足腰が弱くなれば、杖が必要でしょう。
肌身離さず持っていれば、自然と象徴化してくるものです。

第二に、神秘性です。
杖・棍棒の類は、古来から儀式に用いられてきました。
そういった不思議な道具の一種なわけです。

さて、魔法使いが魔法を使うときは、どうするでしょうか?
園児に尋ねると、おそらく、杖を振って呪文を唱えると答えるでしょう。

では、なぜ杖と呪文が必要なのでしょうか?

シンデレラの魔女は、呪文を唱えて杖を振り、カボチャとネズミを馬車に変えました。
現実の世界では、カボチャが馬車になることなどありえません。
カボチャが大きくなるだけで、世界の法則を完全に無視しているからです。

では、なぜカボチャとネズミなのでしょうか。
これを神話や童話に多くみられる、謎解きや怪物退治などの試練の類型と
考えることもできなくもありませんが、試練の規模が小さすぎます。
なにしろ、継母と姉に日常的にいじめられる方がよほど大変でしょうから。

そして、大変なところはほぼ全てを魔女がやってくれています。
魔女は呪文を唱えて杖を振り、カボチャとネズミを馬車に変えました。
シンデレラはそれに乗って舞踏会に行くだけで、時間制限こそありましたが、あとは順風満帆。
魔法が解けてもなぜガラスの靴が残ったのかは説明しにくいですが、それも予定通りだったのでしょう。

ほうきにまたがって空を飛ぶ魔女にしても同じです。
ほうきが魔法で飛行能力を得たとしても、
あんな細い棒に大人の体重がかかれば、痛いなんてもんじゃありません。
なので、あれはほうきだけが飛んでいるわけではなく、魔女自身も飛んでいるとしか考えられません。
なのになぜ、魔女はほうきにまたがらなければ空を飛べないのでしょうか。

結局、物理法則を無視できる魔法使いにも、それらしい理由は必要なのです。
それが杖であり、呪文であり、ときにカボチャやネズミやほうきであるわけです。

とすると、魔法を使えるのは、杖と呪文があるからだということになりますね。
では、園児が杖をもらって、呪文を教われば、魔法が使えてもおかしくありません。

でも、園児に杖は不釣合いではないだろうかとか、何か代用品はないかという考えは当然生まれます。
どうせなら、なんとなく杖のようで、もっと身近なものでもいいんじゃないかと。
かくして、昭和時代の少女向けのアニメーションに、魔法のステッキが登場することになります。
魔法のステッキを振って呪文を唱えると、魔法が使えてしまうわけですね。



                    ――ある虚言者の記録


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