ある虚言者の記録−12





『滅びの美学』



日本には、滅びの美学という文化があります。
花は散るから美しいという考え方も、その1つでしょう。
例えば、外国には、散りゆく花を眺める文化などありません。
美しいものなら、永遠にあったほうがいいじゃないか。そういう文化が世界の主流なのです。
切り花は許しても、プリザーブドフラワーや造花には違和感を覚える。
そういった感性は、日本人独特のものといってもよいでしょう。

弱い者、敗れた者に深い同情を寄せるのも、日本独特の文化です。
判官贔屓という言葉が、それを端的に示しています。
これは、戦の天才として大活躍しながら、味方であった兄に追われて最後には死んだ
源義経に対する同情から生まれた言葉です。
それどころか、義経が実は生きていてモンゴルに渡ってチンギス・ハンになったとかいう
根拠の無い伝説が生まれるくらいです。このように、日本人の判官贔屓は
同情の一言では済まされないほどで、いくらなんでも理解に苦しむところがあります。

戦国武将でいうと、天下統一の寸前で部下の裏切りにあって死んだ織田信長が
現代まで人気を誇っているのも、そういった理由でしょう。

ところが、もし仮に、彼らが成功を収めたままこの世を去っていたとすればどうでしょう。
彼らの人生が、覇者のまま終わっていたとすればです。
きっと、源義経は卑怯者と罵られ、織田信長は悪逆非道の大魔王として後世に伝えられていたことでしょう。
いくら乱世とはいえ、仲間に裏切られて命まで奪われるのは、相当なことです。
裏切った側の今後の人望にも関わりますから、よほどのことがないとできません。
双方とも、生前に度を越えて非常識な行いをしていたのは歴史的事実なのです。
にもかかわらず、後世の人々は、大層な同情を寄せられているわけですね。
判官贔屓とは、花は散るから美しいという日本独特の感性により、
せめて散る前の花の美しい部分を見たいという心から出たものだといえるでしょう。

判官贔屓といえば、剣術の達人集団でありながら、銃砲の近代化の波に呑まれ、
政府側の洋式軍隊の前に敗走を繰り返した新撰組もそうです。
とはいえ、大多数が比較的身分の低い出身でありながら、一時期は京都で一大勢力となった彼らのこと。
柔軟な考え方を持ち、ことさら自らの剣に固執することもなく、軍制の西洋化に着手してはいました。
仮に彼らが西洋化に成功し、幕府側が戦争に勝利していたとしたら……。
新撰組は、今ほどの人気を持ちえなかったでしょう。
滅びの美学とは、そういうものなのです。
滅びたものが望むと望まないとに関わらず。


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