リトルグラフ



投影機能付情報端末『リトグラフ』。
石版画の名を冠する、漆黒の石版型プラスチックに見える携帯情報端末である。
この『リトグラフ』は、2020年代から急速に普及した情報端末に、
2030年代に発展した立体投影機能が付加されたものである。

このような形状の情報端末は、実は2010年代から普及していたということは、
あまり知られていない。もっとも、形状こそ似ているものの、
いくつかの機能に大きな違いがあるのだが。

最大の違いは、国立国会図書館のデータベースへのアクセス機能である。
日本中の本が集まる国立国会図書館のデジタルデータベースへとアクセスすることにより、
インターネット上にも存在しない高度な専門書籍の知識を、
本を入手する手間を待つまでもなく、即時に入手できるのだ。
もちろん有料ではあるのだが……。

この『リトグラフ』のデータベース検索システムについては、文部科学執政官の前身となる文部科学官僚と、
後の熊伏初代法務執政官率いる法務官僚グループの手により、
日本語での、特に漢字を用いた操作・検索システムが義務化された。
『リトグラフ』の機能を余さず使いたければ、漢字を理解していないと検索できないのだ。
無論、既に漢字を外国語に変換できるソフトウェアが存在するため、
スパイ防止の役割は果たせないのだが……。
これについては、執政官による日本語復古運動の目的もあると言われている。

この『リトグラフ』のいくつかの機能を除去・制限するかわり、
対衝撃などのいくつかの機能を強化したのが、子供用投影機能付情報端末『リトルグラフ』である。
……執政官の日本語復古運動がどこまで本気なのか疑わしいネーミングではあるが。
この『リトルグラフ』は、教育用データベースと接続されているため、
今日の学校において教科書・ノート・問題集などを兼ねる働きをしている。
例えば、『リトルグラフ』からの公的機関のデータベースへのアクセスは一部を除いて不可能だが、
政府公認の娯楽サイトへのアクセスなら、『リトルグラフ』にも可能だ。

操作は簡単なペンタッチ方式だが、付属の専用ペンを5本とも失くす子供も多いらしく、
別売りのペンを買い求めることができる。
ちなみに、ペンだけ自分の好きな色と入れ替えて使うのが、子供たちの間でのオシャレとされている。
そして、GPSや防犯ベル機能はもちろん、通話やメール機能も備えている。
小中学生の通学には、この『リトルグラフ』さえ持って行けば、
あとは何もいらないくらいなのである。
もちろん、いくら対衝撃に優れるとはいえ、運動部の道具としては使えないので注意されたい。
笑い話でなく、実際にいるのだ。ボール遊びに使うヤンチャな子供が……。

立体投影機能は、読んで字の通り。
『リトグラフ』のディスプレイの真上に、立体の像を表示する機能である。
立体投影技術自体は20世紀からあったようだが、
一見して立体投影とわかるような色合いのものだったらしい。
この『リトグラフ』、内蔵カメラなどで録画した映像の再生も可能である。
つまり、自分の幻覚を投影して、影武者として使うこともできる。
もちろん、図表などを空中の何もない場所に平面投影することも、従来どおり可能である。
むしろ、三次元投影機能は最初こそ遊べるが、すぐに飽きる。

しかし、ほとんどの場合、いくつかの機能がロックされている。
その1つが、投影密度である。
『リトグラフ』の投影機能は、わざと密度を下げられているのだ。
立体映像による幻覚を使って、社会を混乱させられることを防ぐための規制である。
実物と寸分違わぬ幻覚を作る機能を持つ機器を子供に与えるなど、正気の沙汰ではないからだ。
通常の大人用の端末なら、人間の大人サイズの幻覚を作れるが、
投影密度を下げられているため、ある程度近づくとすぐに投影画像だとわかる。
このような薄い投影画像は、20世紀に見られたものと同じようなものであるとされる。

一部の公的な端末だと、最初からロックされていないものも存在する。
つまり、本物と寸分違わぬ幻覚を作ることができるのだ。
大抵の場合、お偉いさんの眼前に見やすいグラフを投影する用途にしか使われないのだが……。

極端な話、ロックさえかかっていなければ、端末と同じ面積の向こうが見えない壁の幻覚も作れる。
これについては、ある警察幹部が地面に置いた十数個の『リトグラフ』で作った壁の幻覚で、
不良高校生の運転する暴走車を止めようとしたというエピソードがある。
結果、高校生は知ってか知らずか壁にそのまま突っ込み、
壁をすり抜け、暴走車に乗り越えられた『リトグラフ』たちは見るも無残な姿になったという。
警部補以上にしか与えられないロック解除バージョンの『リトグラフ』が、である。
幻覚はあくまで幻覚であるという好例である。
これが仮に対衝撃に優れる『リトルグラフ』であったとしても、
車に踏まれてはひとたまりもなく壊れてしまっていただろう。

なお、この投影密度のロックは、技術があれば解除できる。
法律で禁じられているのでやらないでもらいたいものだが、
ロックを解除した連中のいたずらにひっかからないためにも、
ロックは解除可能であるという前提知識は必要だろう。
とはいえ、投影サイズを端末のディスプレイより大きくすると、
投影密度を小さくしなければならないため、その分だけ像が薄くなる。
ロックがかかっていようといまいと、『リトグラフ』の投影サイズを一定以上まで上げると、
画像が薄くなってしまう。そのため、ロックがかかっていなくとも、
ディスプレイの面積と同じ面積の像までしか、精巧には表示できないのだ。
また、投影距離は投影の光が高密度で届く2メートルが限度である。
要するに、精巧な幻覚は、ロックがかかっていないかロックを解除した端末で、
ディスプレイの面積×高さ2メートルの範囲に収まらないといけないのだ。
ディスプレイ部分が多少小さい『リトルグラフ』だと、
ロックを解除したところで、大人の幻覚は作れないだろう。

もう1つは、密度を高くすると真上にしか投影できないというロックである。
路上に障害物の幻覚などを無秩序に作られると危ないから、
車に踏まれたら壊れるのでそのリスクは負えということ。
それと、疑わしいものは、下側を調べれば触れずに解除できるということである。
幻覚かもしれないものを見つけたら、手を突っ込んでみてすり抜ければ幻覚。
そもそも空中投影の名の通り、壁を空間に見せかけることはできないため、
幻覚であるのにすり抜けないということはありえないのだ。
それが危険そうなら、下側に棒を突っ込んで、像が押されるように動けば幻覚である。
もちろん、大きな石を投げてみても構わない。
その向こうに窓ガラスがあっても知らないが。

横向けて投影すれば踏まれても大丈夫?
『リトグラフ』は上面の光量から幻覚の補正を計算している上、
ディスプレイに接する側に影ができるように映像が自動補正されるため、これも一発でバレる。
早い話が、横向きの投影だと影のない、あるいは妙なところに影がある映像になるのだ。
なお、投影距離は投影の光が高密度で届く2メートルが限度であるから、
薄暗いところに見破りにくい幻覚を作ったとしても、
2メートル以内には『リトグラフ』が存在することになる。
そもそも、そんなところに幻覚を作ったとしても、存在自体に気付いてもらえるかは謎だが。

結局、こちらのロックは、事実上解除不可能なのである。
投影機能については、ディスプレイの大きさ以外は、『リトルグラフ』も全く同じである。
ただ、行使に漢字の理解が必要なので、ある程度の学力がなければ使いこなせないだろうが。

誰しも一度は遊んだであろうこの投影機能であるが、決定的な弱点がある。
それは、ディスプレイの真上に、ディスプレイと同じサイズまでの幻覚しか
投影できないことに起因する。
つまり、精巧な壁ならともかく、動き回る像を本物に見せかけることは不可能だ。
エサを食べ、水を飲む小鳥の幻覚は作れても、飛び立たせることはできないのだ。

録画した人間を投影することもできるが、立ったまま動かない、
手は動かすけれど足はほとんど動かせない。
立体映像は、歩くことができないのである。
厳密には歩くことはできるのだが、その場で歩くような動きを見せるだけなので、
一発でバレる。どうしても歩かせたければ、一面同じ色の床の上で、
台に載せることなく滑らかにディスプレイを平行移動させなければならない。
そんな状況がどこにあるのかは知らないが。
床一面に特注のディスプレイを作れば歩かせるくらいは可能かもしれないが、
大人の体重にはまず耐えられない上、虚像を触ることはできない。
幻覚で遊ぶ機能は、使えそうで使いどころが非常に限定される。
これが、投影機能がインターネット上で『リトブラフ』と揶揄される所以である。

また、手をピンと横に広げれば、ディスプレイの範囲を大きく超えるため、
立体映像の密度が明らかに薄くなるのだ。つまり、手を広げさせれば、
幻覚かどうかは明らかにわかるのだ。
音声認識システムとプログラムの併用で、立体映像にある程度受け答えをさせることはできる。
だが、手は広げられない。もちろん、触られるとすり抜ける。
現代の辞書にも載っているが、何か隠していそうで胡散臭い人物を
「手を(手が)広げられない」というのは、これが起源なのだ。

                   晩冬書房刊『アナタも今日からリトグラフ!』より


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