ある執政官補の記録−2



失敗した。
地方の事務官でももっとできると思っていたが、甘かった。
本省の三等執政官補付き事務官がいかに優秀だったか、身をもって思い知らされることになるとは。
しかも、よりによってこのタイミングで……。

とはいえ、全て彼らの責任かというと、そうでもない。
前任者が休職するほどの事態だから、元々、計画が遅れ気味なのだ。
その遅れを取り戻すため、本省の一般事務官並みの激務を強いていることから、
元々の処理能力をオーバーしてしまっている。

そのような有様では完璧な仕事を期待できる筈もなく、
ミスの確認に費やされるボクの時間は、三等時代の軽く10倍以上だ。
ただでさえ、二等のボクしか触れない部分に多くの時間を費やしている中だが、
こちらのミスの確認も怠れない。ミスを見落とせば、全て監督者であるボクの責任になるからだ。
こんなことなら、小倉事務官でなく、和田事務官を連れてくるべきだったか……。
とはいえ、今から増援を頼んだのでは、見通しの甘さを露呈することになる。
狩谷一等にお願いすれば和田事務官1人くらいはよこしてもらえるだろうが、
今度は逆に、本省が大変なことになる。そのしわよせがどこに行くかわからない。
そうなると、誰に嫌われるかわからない。出世直後のスキャンダルは大敵だ。
しかも、和田事務官と小倉事務官は仲が悪い。とはいえ、もちろん彼らも大人だ。
しかし、ここなら本省の目が行き届かないので休日を返上できる反面、
そのストレス下で一緒に仕事をさせるのはとても危険だ。

かといって、和田事務官と交代に、目立った非もない小倉事務官を帰すわけにはいかない。
彼女の経歴に傷をつけるからだ。彼女が多少抜けているのは最初からわかっていたこと。
狩谷一等のことを考えると、なおさらだ。
最初から和田事務官だけを連れてくればよかったのだが、
狩谷一等のことを考えると、和田事務官を選ばないにこしたことはなかった。
そして、あの時点では、ボクも狩谷一等も、ここまで大変だとは知らなかった。
一色派の醜態である以上、狩谷一等が全容を知らないのも無理はない。

心身の故障で休職した前任者の小波二等も、この事務官たちに悩まされたのだろうか。
ボクは彼に恨み言を言っていい立場なのだが、同時に、感謝すべき立場でもある。
彼の転落なくして、ボクはここにはいられなかったからだ。
この仕事は、国粋主義者の一色一等が、あらゆる手段を使って確保した。
狩谷派はそれに協力する代わり、密約によって補欠の席を確保していたという。
ただ、そういった密約はよくある慣行のようなもので、
一色派の若手の中で最強の駒である小波二等が失敗したのは、誰にとっても想定外だったのだが。

だが、今なら彼の気持ちもわかる。
完璧を求められる中で、この事務官たちのミスを見逃さないようにするのは神経が疲れる。
挫折したことがない人間では、時間に追われて、心を病むのも無理もないかもしれない。
ボクは中学の頃に挫折を覚悟したが、彼にとってはこれが最初の挫折だったのだろう。
彼も中大、法務省ではある意味において最高峰。仲原法務の中大閥にいてもおかしくない人間だ。
狩谷一等と狩野一等が東大閥を二分していることもあり、現状では最大派閥。
なぜ勝ち馬に乗らなかったのかというと、おそらく、思想的に一色一等に近かったのだろうが。
そういえば。高そうな和歌の本を何冊か忘れていた。
珍妙なことに、一色派は妙に古風なセンスの執政官補が多いのだ。
例えば、峰岸三等なんて、いつも杯に桜の花びらを浮かべて酒を飲むらしい。
トップからしてオタクの狩谷派よりマニアックだ。

まあ、趣味は合いそうもないが、病むほどに耐えた小波二等の気持ちは酌んでやるとしよう。
ボクが執政官になっても、ボクの足跡の下に、彼の足跡がここに残るように。



                    ――ある執政官補の記録

能力レベル へ
能力の媒介・制約・限界 へ

トップページへ