ある執政官補の記録−1





三等執政官補登用試験。実情を知らない人にこれを説明するのは難しい。
昔は国家一種という、いわゆるキャリア官僚の登用試験があったらしいが、
ある意味においてはその名残といえるかもしれない。

最大の違いは、年齢制限の有無である。
確かに、年齢が高い低いの一事をもって、優秀な人材を門前払いにするのは、
我が日本国の利益を損なうことにもなりかねない。
かくして、下は義務教育を修了見込みの若者から、上は定年後の公務員まで、
様々な年齢の志望者が押し寄せる。
最大の特色は、一般の国家公務員採用試験に応募できない年齢の者ですら、
一応試験だけは受けられるということだろう。
とはいえ、そういった年齢の者がとりわけ優遇されているわけでもない。
まず、さすがに定年後となると、いくらかの衰えはあるだろう。
そして、三等執政官補の部下となる本省の事務官たちは、多くが有力大学出身のエリートか、
それらを押し退けて採用された優秀な人材である。
いくら上司とはいえ、中学校を出たばかりの若造に指図されたいかというと、
答えは否だろう。自衛官や警察官の幹部候補生にしても、ここまで若くはない。
面接官の頭の中には、どうしてもそれがついて回る。
そして、年齢制限が無いので、試験に何回落ちようと、次の年にまた受けられる。
かくして、よほど取りたいと思われない限り、若年者の採用は見送られることになる。

とても残酷な制度だが、ここで諦めるような人間は、絶対に執政官にはなれない。
まずは、学力の高さを示すことだ。具体的には、たとえ東大・京大の学生でも
中学時代には苦戦するような難関の高校を受験し、合格証書を示す。
しかし、その程度はまだ前提条件だ。
三等執政官補登用試験の試験科目は、知能テストと面接。
同じ知能テストをクリアしてきたエリートに対し、経験浅い若造のなんと無力なことか。
「でも、まだ若いから。」
この事実だけは覆せない。この一言で全てが終わる。
しかし、この弱点を消してしまってはならない。
彼らと同列に並んだところで、中学を出たばかりでは学閥がない。
スタート地点で一人ぼっちになるのは、面接官の一等執政官補もお見通しだろう。
ここは逆に、若いことを武器にしなければならないのだ。
「若いからこそ。」
そう思われなければならない。思われなければそもそも同じステージには立てない。
どうにかして、若さを武器にするしかないのだ。
また、万が一にも、その武器がエリートたちと重複しては勝ち目がない。
他の条件が同じなら、それなりの年齢の者が勝つからだ。
10歳も違わないが、彼らにだって若かった時期はある。精神構造自体、そこまで差はないだろう。
そうなると、必要なのは、若い頃の彼らが持ちえなかった武器だ。それを志望動機にする。
なおかつ、当然ながら、法務省の管轄する分野のものを設定する必要がある。
したがって、彼らの武器と重複しないものを選ぶためには、法務省にとって最先端のものであり、
なおかつ、若者に特有の分野を選び出すほかない。彼らが若い頃、それはそのかたちではなかったからだ。
それを志望動機にできれば、彼らとも互角に戦えるだろう。

あとは、勝つだけだ。一等執政官補に将来性を全力でアピールする。
極端な話、最下位合格でも構わない。三等執政官補になりさえすれば、手段はある。
学閥がないことを逆手に取れば、様々な学閥に勢力を広げられる。
学閥がないところから一転して一大派閥を形成すれば、必ず一等執政官補の目に留まって二等になれる。
二等になれば、あとは現場で実力を発揮するだけ。そうすれば一等になれる。
あとは、最後の選挙で勝てば法務執政官。選挙で勝てない一等執政官補を押し退けて、
ボクが執政官になる。




                    ――ある執政官補の記録

懐かしい過去の文化に へ
能力系統 へ

トップページへ