懐かしい過去の文化に



かくして文化は停滞した。
前に述べた通り、現在放送されているテレビ番組の多くは、
過去の人気番組の再放送か、その焼き直しである。

しかし、その再放送が、思わぬ文化をもたらした。
最たるものが、競馬の流行である。
もっとも、それを流行といっていいのかは、いささか疑念が残るところだが。

そもそもの始まりは、こうであったと記録されている。
まず、多チャンネル化によって、あるテレビ番組の視聴率が単純に下がる。
同時に、不況との相乗効果で、テレビコマーシャルの広告効果が薄れる。
すると、スポンサーが広告費を削る。そして、必然的に番組の制作費も少なくなる。
となると、思い切った予算の使い方ができなくなる。
そのため、型にはまった番組が増える。もちろん、視聴率はさらに下がる。
そして、スポンサーはますます広告費を削るという悪循環が生じる。
すると、制作費はさらに削られ、最終的には、必然的に再放送が増える。

そして、再放送にしても、いくら人気があろうと、
何回も放送していれば、当然視聴率は落ちてくる。
かくして、消去法で、放送すべきと思われる番組が減ってくるのだ。
しかし、枠が余ったからといって、宣伝だけを流したのでは誰も見なくなってしまう。
そこで、過去の番組の中から、時代の波に埋もれた番組が、次々に再登場を果たすわけである。

その中で出てきたのが、競馬の再放送だった。
当初は、他に流すものがないからと、消去法で競馬の名勝負集のような番組を流していたらしい。
だが、惰性で流していたところ、思いのほか視聴率が高くなってきたというのだ。
調べてみたところ、視聴者の内訳は圧倒的に子供が多かったという。

こうした反響を受けて、競馬の再放送は今や定番番組となった。
もちろん、過去のレースであるから、事前に調べれば結果はわかる。
当然ながら、過去のレースについての賭け事は一切行われない。
また、子供はその時代に行われている競馬の馬券を買うことができないため、
本来の競馬に参加しているとは言い難い。

その後、子供たちの間で、実在した過去の競走馬をモデルにしたカードゲームが流行した。
現存する競走馬の場合、能力が未知数である場合が多い上、
カードにするには権利関係などのハードルが意外に高い。
また、伝説的な名馬は文句なしに速い。
そのため、子供たちの間では、現代の馬よりも昔の名馬の方が有名になっているといった始末である。

新しい娯楽が少ない時代とはいえ、一体何が子供に受けたのかは未だ解明されていない。
確かなのは、競艇や競輪、馬が出てくるだけの動物番組の再放送では、
期待したほどの好感触を得られなかったことである。
とすると、馬が競走して速ければ勝ちという簡明さがよかったのか、
あるいは、足が速ければかっこいいという子供の価値観に合致したのか。

いずれにしても、かつて大人のために作られた競馬というシステムが、
時を越えて子供の娯楽になっていようとは、なんとも皮肉なことである。

                    晩冬書房刊『歴史に学ぶ文化史』より


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