第5話・第0節





『堕とされた者』



神話の中には、世界各地に似たようなストーリーのものがみられる場合があります。
例えば、勇者が試練として怪物を退治するものです。
ここでは、それぞれ神話の中で怪物を退治した、
日本神話のスサノオノミコトとギリシャ神話のヘラクレスの両者を比較することにより、
大きな共通点を洗い出していきましょう。

まず、双方ともが武勇に優れた勇者でした。
双方とも、かたやヤマタノオロチ、かたやヒドラという、
多数の頭を持つ蛇の怪物を退治したことがあります。なぜ怪物が蛇なのかは理由があるのですが、
その説明は別の機会に譲るとして、別の共通点について考えて見ましょう。

まずその前に、片方の神話がもう片方に影響を与えた可能性について検討しておきましょう。
ギリシャと日本は遠く離れてはいますが、古代から、シルクロードで繋がっていました。
古い仏像の顔にギリシャ彫刻のような地中海文化の影響がみられるのは有名な話ですし、
どちらかの神話が他方の神話の影響を受けている可能性を完全に否定することはできません。

ですが、神話というのは『である』論よりも『べき』論に近いものですから、
よその神話が伝播したところで、その地の、その宗教の都合のいいように書き換えられるのが常です。
結局のところ、類似した神話が他方の影響を受けていたとしても、
それを受け入れる文化的背景は共通していたということですね。

ということですので、もっと掘り下げて、彼らの神話の別の共通点について考えてみましょう。
なぜ、彼らは怪物を退治しなければいけなかったのでしょうか。
それは、全能の神が力を振るっていない下界が舞台だったからです。
なぜ、彼らは怪物を退治できたのでしょうか。
それは、彼らが強かったからです。
なぜ、彼らは強かったのでしょうか。
それは、彼らは神の世界から追放された者だったからです。

そう。彼らは双方とも、神の世界からの追放者であったわけです。
ヘラクレスは元々半神の身ではありますが、過ちを犯す前は紛れもない勇者でした。
このような、神の世界からの追放者が活躍する話は、世界に数多くあります。

さて、このような類型の話が世界各地に残されていることの背景としては、
いくつかの理由が考えられます。

その1つが、神の力の大きさを示すためです。
人々が戦っても敵わないような恐ろしい怪物を倒すのは、人ではなく追放された神。
ということは、それを追放した神は、より強大な存在であるということです。

その1つが、親しみやすさがあることです。
物語の主人公が実は神様だというのは、ヒーロー像としてわかりやすく、強さの説明にもなります。
また、人間は誰しも間違いを犯すものですので、人々が共感を持てるという要素もあります。
もちろん、間違いの程度にもよるとは思いますけどね。

そして、最も重要な理由が、王権の根拠を示すためです。
下界で試練を終えた後の、追放された神の身の振り方は、
天界に帰る類型と、そのまま下界に居つく類型があります。
そのどちらの類型でもありうるのですが、結局のところ、
現在の王は神話の神の子孫であるということです。
これは、追放者が活躍する類型以上に、世界各地で多くみられる類型です。
この場合、王の先祖である神は、追放された者ではなく、絶対的な神、
あるいは下界の問題を解決するために遣わされたとされることも多いようです。
つまり、王権神授説の根拠として、神話が使われているわけですね。

さて、背景の分析が終わったところで、今度は神話の途中に注目してみましょう。
彼らが神の世界から追放された、その直後のことです。
堕とされたばかりの神には、何ができるのでしょうか。
幸い、上記の神話では、彼らには為すべきことが用意されていました。
でも、堕とされたこと自体、その神の座を狙う別の神の仕業だとしたら?
堕とされた後、自分が神であることすら、すっかり忘れていたとしたら?

そう。多神教の世界では、正しい神ばかりとは限らないのですから。

一体誰が堕とされたのか?
それを語るのは、まだ先の話です。


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