ある虚言者の記録−2





『悪魔』



悪魔というと、あなたはどんなものを思い浮かべますか?
そのお話をするには、有名な悪魔観を持つキリスト教を語る必要があります。
まず、キリスト教の神は、唯一神です。いわゆる一神教なわけですね。
キリスト教に従うと、天使はいますが、唯一神の他に、いかなる神も存在しません。

さて、古代、キリスト教が広がるにつれて、様々な問題が生じました。
その1つが、土着の宗教とのすり合わせです。
宗教はどこにでもあるもので、人間が知恵を持って以来、それが絶えたことはありません。
たとえ神殿がなくても、自然などを神として畏怖し崇める習慣は、どこにでもあるのです。

キリスト教が広がると、それらの土着の宗教との間で、問題が生じます。
キリスト教を知った彼らが正しい神を知り、以後それを信じるとして、
今まで信じていた神を同時に崇めていいものかという、ごく当然の疑問です。
キリスト教が伝わる以前に、宗教が無かった地域など無いのですから。

もちろん、キリスト教は一神教ですから、唯一神のほかに神はいません。
人々が以前から神だと思っていたものは、神ではなかったというのです。
では、神ではないとしたら、一体なんなのでしょうか。
神でないのに神であるかのように振舞っていたそれは、悪魔であるとされたのです。

もちろん、以前の宗教を信じ続ける人にとっては、従来通りそれは神であるわけです。
そういった価値観の違いは、宗教の世界ではよくあることです。
異教の神が役割を変えて登場するのは、なにもキリスト教だけではありません。
ある多神教の善神と悪神が、対立する別の宗教では真逆の立場であるという例もあります。
また、仏教の帝釈天などの天部の仏は、元々は異教の神などであるというのは有名な話です。
天部の別のある仏は、別の宗教では悪神、また別の宗教では善側の主神であるという複雑な立場だったりします。
そういった比較も、趣味でやる分にはおもしろいかもしれませんね。

ともあれ、このようにして、神は悪魔になりました。
もちろん、そういったものは無数に存在する悪魔の一部にすぎませんが、
キリスト教で悪魔とされるものの中には、別の宗教での神を起源とするものも少なくありません。
元となった宗教が廃れてしまってわからないだけで、もしかすると、
把握されているよりももっと多くの悪魔が、元々は神だったのかもしれませんね。



                    ――ある虚言者の記録


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