ある虚言者の記録−17





『反動』



歴史を学んでいると、しばしば不条理といえるほどに極端な制度に直面します。
実はそういった制度は、前時代の制度が極端だったために、
反動で逆方向に極端になったという例が驚くほど多いのです。

我が国でも、宗教法人に対する一部の税金が非課税になるという極端な制度があります。
これは、憲法に定められた『信教の自由』に起因するものですが、
実際の運用で宗教が極端に優遇されているのには理由があります。
その理由をたどれば、第二次世界大戦以前に
国家と一部の宗教が結びついて戦争の思想的背景とされたうえ、
他の宗教がないがしろにされたというところに行き着くのです。
それに対する反省もふまえ、日本国憲法で『信教の自由』が認められたわけですね。

さて、この日本国憲法のモデルになったとされるのが、昔のドイツの『ワイマール憲法』です。
当時の世界で最も自由な憲法とされましたが、どのくらいフリーダムな憲法なのかというと、
この憲法は憲法に対する忠誠すら要求しません。
早い話が、この自由な憲法を否定する集団が、国会で合法的に活動することまで
許しちゃったわけですね。それで表舞台に出てきちゃったのが第二次世界大戦時のナチスです。
実際は、その前の戦争で負けたドイツに巨額の賠償金を課したり
軍備を制限させたりして好き放題やってた戦勝国にも責任はあるわけですが……。

そして、第二次世界大戦敗戦後のドイツでは、反動で、
今度はガチガチな憲法が定められることになります。
この憲法では、憲法に対する忠誠が要求され、憲法を否定する個人や組織を許しません。
最も自由な憲法を持ってたはずの国が、
挨拶でうっかり右手を上げただけで逮捕されかねないという
とんでもない国になっちゃたわけですね。

このように、反動というのは、極端からまた逆方向の極端にシフトするという、
大変恐ろしいものです。もっとも、これらの国に関しては、
真面目人間が多いという背景もあるでしょうが……。
反動が起こるのは、何も思想的な側面だけの話ではありません。
広大すぎる大帝国は有能な皇帝の死後に分裂し、お互いに争うことになります。
神格化された指導者の像は彼の死後に倒され、足蹴にされます。
徳川綱吉の『生類哀れみの令』も、死後は見事に元通り。
あのナポレオンも征服した全ての領土を失い、後世に残ったのは
歴史の教科書のほか、不完全な辞書と地味な法典のみ。
結局のところ、何事も程々が一番ということですね。

ですから、執政官の皆さんにはくれぐれも、
あまり極端な制度を作らないようにお願いしたいものですねぇ。
まあ、ドイツも例の『ワイマール憲法』の前はガチガチな帝政でしたし、
日本も執政官登場前の制度が極端だったかもしれませんが。
執政官の皆さんには、くれぐれもお願いしますよ?



                    ――ある虚言者の記録


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