ある虚言者の記録−9





日本には、『羽衣伝説』という昔話があります。
天女が羽衣を脱いで下界で水浴びをしていたところ、
それを見た男が天女の美しさに心を奪われ、羽衣を隠してしまうというものです。
羽衣を失くした天女は飛べなくなってしまい、天に帰れないので、
そのまま人間として男と一緒に暮らすことになります。

このように、人が人ならざる存在と結びつく神話や昔話の類は世界中にみられます。
これを、『怪異』かつ『嫁取り』の類型といっていいかもしれません。
同じ日本の昔話でも、『鶴の恩返し』や『雪女』などと違って、
男性の側が出会いの段階で悪事を働いているという点に大きな特徴があります。
『鶴の恩返し』や『雪女』は『約束破り』による破局の類型ですが、
男性の落ち度がここまで大きいものは、勧善懲悪に傾きがちな昔話では珍しいものです。

昔話の常として、この『羽衣伝説』にも、地方によっていくつかの類型があります。
大きく分けて、天女が羽衣を隠した者を知っている場合と知らない場合、
天女が隠された羽衣を見つけて破局を迎える場合と迎えない場合です。
いずれの場合も、羽衣を隠した者が天女と結ばれる点は共通しています。
もっとも、子供向けにアレンジしたものになると、哀れに思ってその場で羽衣を返してやるといった話も
存在するようですが、特異な例なので、ひとまず除いて考えます。
つまり、正しい者が得をするという、昔話にありがちな類型から大きく外れているわけです。

いずれにせよ、天女の相手となるのは羽衣を隠した悪い男ですから、
選択の指標が勧善懲悪によるものとは大きく異なります。
英雄であるから誰も抜けなかった剣を抜くことができたとか、
正しい者であるから海が割れて道ができたとか、そういうものとは違うのです。
もちろん、私だってそんな男は願い下げです。

なぜその男が選ばれたのかというと、天女の方にも何らかのメリットがあったと考えるしかありません。
ここで、天女が羽衣を隠した者を知っている場合だけならともかく、
知らない場合までも結局くっついていることから、
天女のメリットは、家庭を持つことであったと考えられます。
もちろん、後に羽衣を見つけて帰る類型の場合は、仕方なくそうしたということになるでしょう。
でも、その場合だって、天女には独り身でいるという選択肢があった筈なのですから。

そもそも、天女はなぜ下界で水浴びなどしていたのでしょうか。
そして、羽衣を脱ぐにせよ、なぜ手が届くところに置かなかったのでしょうか。
それ以前に、空を飛べるのなら、周囲に男がいるのに気がつかなかったのでしょうか。
単に頭が悪かったのか、それとも……。

表面上は利害が相反している2人ですが、天女の行動には、腑に落ちない部分が多くあります。
罠にはまったのは、実は男の方だったのかもしれませんね。



                    ――ある虚言者の記録


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