ある虚言者の記録−3





『蛇』



この言葉を聞いて、親しみがわくという人は少ないでしょう。
手足が無く、長い胴体を持つ異形の獣。口は大きく、牙は長く、毒を持つものも多くいます。
体が細長いため、森林や草むらなどでは接近に気付くことも困難です。
そして、一撃で人を死に至らしめることもあることから、古来より、蛇は恐怖の対象とされてきました。

とりわけ古代においては、恐怖の対象とされるもののは崇められる運命にあります。
とはいえ、高度な文明を持たない人間が抗いようのない自然などとは規模が違いますからね。
ただ恐ろしいだけの動物ならば、打倒の対象とされるにとどまるでしょう。
ところが、蛇はそうではありませんでした。

理由は簡単です。
古代の人間からみれば、蛇は強力な毒をもって死を司ると同時に、
脱皮や冬眠などの奇跡的なわざを行うことから、再生をも司っているように思えたのです。
原理さえわかってしまえば、ただの害獣なんですけどね。

かくして、古代、蛇は死と再生の象徴となりました。
ギリシャの医神アスクレピオスの杖に蛇が巻き付いているのも、それが理由だと考えられています。

さて、そういった古代人の感性は万国共通だったようで、
蛇は世界各地の宗教や神話などに登場しています。
注目すべきは、多くの場合、悪神あるいは退治されるべき怪物として描かれていることです。
例えば、ギリシャ神話のメデューサの髪も蛇ですし、ヒドラも頭が多数ある蛇です。
インドのヴリトラも蛇。日本のヤマタノオロチも多数の頭を持つ蛇です。
そして、エデンの園でアダムとイヴをそそのかしたのも、まさしく蛇だったのです。

かつては崇められていたはずの蛇が、悪の権化になってしまったんですね。
では、なぜ、様々な宗教文化から排撃されるに至ったのでしょうか。
これは、比較宗教学の分野においては、旧来の宗教に対するアンチテーゼとしてよくみられる手法です。
異教を信じる者が酷い目に遭ったり、異教の象徴が貶められたりというのは、よくあることです。
そのときは、それが蛇であったわけですね。
つまり、蛇を悪の象徴とする宗教の前に、蛇を崇める宗教が広く信じられていたことを示しています。

蛇が死と再生の象徴とされたのは、人が多くのことを知らなかった時代。
そこから文明が少しずつ進展し、蛇の正体が解明されていきました。
その過程で、蛇を崇めることには根拠がないとされ、
蛇を敵とする宗教が力を増し、旧勢力に攻勢をかけたと考えられるのです。
この蛇をめぐる戦いの結果は、皆さんのご存じの通りですね。

もっとも、割合としては多くありませんが、蛇を神聖視する宗教も現存しているようです。
よく知りませんけどね。



                    ――ある虚言者の記録


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